c1024 財産


今でも辛い時は、傷跡を見、あの時の痛かった事、情熱をぶつけて頑張っていた時のことを思い出しながら過ごしており、以後、どのような試練が襲いかかろうとも耐えていける、という自信がついたのは、大きな財産になりました。
都内は交通渋滞で、定刻に会社へ戻れません。
神田の会社から、蒲田のテレビ専門学校まで、駅の改札やホームを一目散に、走りまくります。
1分1分が大事で、ドロボウが、逃げ、走りまくっているように見えた事でしょう。
夕食の時間がなく、15分間の休憩時間に食堂へ走ります。
食堂のおばさんが、私の駆け込みを知っていて、食事を用意してあり、それを胃袋に流し込み、寮へ帰ると12時、このリズムが続きました。
休みの日は、街頭テレビを見るのが唯一の楽しみ。
どんなに辛くても、魔法の箱の中味は、必ず解明しよう、と自分に言い聞かせ、無事卒業。

c1023 指が腐る?


早速、翌日から職探し。
皿洗いや組み立て配線工、自転車での配達など経験しましたが、日給が5百円程度と安く、生計を維持するには無理がありました。
そこで、日給8百円で、なんとか生活可能な、トラックの助手の仕事を見つけ、会社の寮へ入れてもらいました。
毎日、鈴や亜鉛のインゴットを満載し、配達周りの力仕事でしたが、運転手は、荷物には何一つ手をつけず、栄養不足と、睡眠不足の体には、過酷な仕事でした。
過労のためなのだろうか。腰がふらつき、ときどき目まいが襲います。
作業中、荷物に指をはさみ、潰してしまいましたが、病院へ行く金もなく、休めば食べていけません。
潰れた指を手袋で隠し、なにげない様子で、翌日も働き続け、あまりの痛さに、指が腐るのではないかと、心配でしたが、いつの間にか治りました。
人は、過酷などん底生活の中、己の体につけた傷跡や心に染み込んだ教訓は、生涯忘れられません。

c1022 古本屋


売りたくない気持ちは山々、そうかと言って、飯を食べずに過ごすわけにもいかない。
ある一軒の古本屋に入り、買ってくれと頼むと、今はその本ありますから、とのことで、この本屋を出る。
この場になって、自分ではよく分からない程の、本に対する未練が出てきて、そのまま帰ることにした。
やっぱりどんな事があっても、参考書だけは、今後、売るようなことはしないようにしよう。
仕方ないので、今日は朝から食パン1個で、1日中過ごす。腹の虫がグーグーなっている。
ペンさえも、いつもと違い、ふらふら千鳥足、残る2日間の我慢だ。明日の仕事は元気でいこう。12時記す」
ひかるにとって、パンの耳は、本当の命の源で、どれ程ありがたいと思ったことか。
1日をパン1個で過ごした日が、どれほどあったのだろうか。
絶えるかもしれない、命の恐怖に、何かを残したい、毎日の行動を記録し、自分を励まし、耐えたのです。
そして、生命力の強さ、偉大さをつくづく痛感させられました。
上京時、父はやっとの思いで、1万7千円のお金を用意してくれました。
当時は、高校卒業の初任給が、1万7千円くらいでしたので、1カ月以内に底をつくのは、目に見えており、急いで働かなければ、夜学は続行出来ません。

c1021 鼓動との葛藤


身も心も一心同体、体全体で苦しんでいるはずが、孤独、寂しさ、辛さは、精神だけの問題にすぎず、鼓動は平常通り、淡々と打ち続ける。
ひかるにとっては、生まれて初めての悟りで、自分の精神が、いかにひ弱いのか、情けなくなりました。
強い心が欲しい・・
よーし、生きのびて見せる!
自分にとって、後戻りは出来ない。
辛くても前へ進むしかない。
こう心に固く誓いました。
以後、生涯、精神と鼓動の葛藤が続くように成ったのです。
現在の飽食時代、パンの耳で過ごす事など、考えられないかも知れませんが、日記に、昭和40年当時の状況を見ることができます。
「3月29日、月曜日、今日は朝から会社は休み、給料日は目の前だけど、どうしても金が不足。
しかたないので、電子工学、図解パルス工学、電気論の3冊、2000円相当を古本屋に売りに行った。

c1020 孤独


翌日もパンの耳が貰え、コッペパンを買わずに済んだ分、今度は牛乳を買いました。
牛乳にパンの耳を浸して、食べるのです。
更に初めての冬は、心身共に堪えました。
常夏育ち、冬用の衣類はなく、敷布や毛布も有りません。
畳の上に、掛け布団1枚で寝る始末。
安アパートのため、隙間風は自由に往来、明け方はとても寒くて、眠れません。
少しでも体温を逃さないよう、膝を抱え込み、体の表面積を最小限にし、ガタガタ震えているだけ。
猫の気持ちがよく分かりました。
今考えると、栄養状態は極度に悪く、凍死寸前の状態だったのです。
食べ物が欲しい・・。
着るものが欲しい・・。
誰か話し相手が欲しい・・。
頼る人が、一人でもいてくれれば・・・
お金はみるみる底をついて行き、孤独、辛さに、このまま生き続けられるのだろうか?
不安のどん底に、陥りました。
父が、やっとの思いで作ってくれたお金、周りの反対を、黙って押し切ってくれた事、あの拗ね顔を思い出すと、おめおめと島へ戻る訳にもいかず、自分自身が情けなく、疲れ果てたある日、一人で天井を見つめ、孤独をかみしめながら、何気なく、手を胸に当ててみました。
「何んだ、これは!」
思わず、声が出ました。
これだけ辛い思いをし、悲しんでいるはずなのに、鼓動は平常通り、何事もなく、すがすがしい響で脈を打っていたのです。

c1019 街頭テレビ


見果てぬ夢がある限り、命を張って生きてみよう。
いつの日か、我が家で映画が観られる時が来る・・と。
(若い人には、街頭テレビが理解出来ないかと思いますが、50数年前、テレビは超高価で、各家庭にはまだ普及しておらず、大きな駅前に、競馬場の場外モニターの如く設置され、庶民はそれで、テレビを楽しんでいたのです)
ひかる19歳。パスポート持参で、貧しい中での上京。
頼る人とて無く、バイトに夜学。バイトの金が入ると、ラーメンを箱ごと買い込み、コッペパンとの連続。
食べ物さえ確保するのが大変な時期でした。
いつものパン屋へ行った、ある日の出来事。
顔色は浅黒く、頬は痩せこけ、明らかに上京したての田舎顔、手はズボンのポケットへ入れ、十円玉を数え、買えるかどうか思案中。
目は卑しくも、買えるはずのない、美味しそうなケーキの方へ行ってしまいます。
一度でいいから、ケーキを食べてみたい・・
しかし金がない。
空腹、みじめ・・
飢えた目で、周りのパンをキョロキョロ見ている姿、気の毒に思えたのでしょう。
店のおばちゃんが、他の客がいないのを見計らい、紙袋をそっと渡してくれました。
部屋へ帰り開けると、パンの耳でした。
他人様から、始めて貰った食べ物、心からありがたいと感謝したのは言うまでもありません。
早速、コップに水を入れ、パンの耳を浸して食べる。
これで一食分助かった。

c1018 超たまげ~


また、右を向いても目、後ろを向いても目、だらけ。
東京の人の多さには、これまたびっくり、超たまげ~
島の住人は、200人程度で、殆んどの人が、顔見知り。
例え知らない人でも、道ですれ違う時は、挨拶を交わしながら、すれ違います。
東京の人、一人一人に挨拶をしていたのでは、前へ進めません。
挨拶は止めました。
大勢の人が行き来し、ピルへ吸い込まれていく様子を見た時、これはアリンコの世界だと直感。
家の庭に数えられないくらいのアリ達が、それぞれの巣を作り、せっせせっせかと働き、食べ物を蓄えていた姿にそっくり。
東京の人々が一段と小さく見え、何んで人間がアりンコになってしまうのだろうか、と考えさせられました。
そして翌日、魔法の箱としか思えない、テレビを一刻も早く見たいと、早速新橋駅前の街頭テレビを見に行きました。
黒山の人だかりで、全ての人がテレビのプロレス中継一点に集中。
確かに、プロレスは別の場所で行われ、テレビにはそれが写っているのです。
夢にまで見続けたテレビ、魔法の箱ではなかった。
そして群衆が熱中し、興奮している姿を見た時、テレビに挑戦しても、間違いではないと確信。夢は大きく膨らんでいったのです。

c1017 大パニック


急に走り出す事を、全く想定していなかったので、心の準備が出来ておりません。
いきなりバランスを崩し、「どうなっているんだ! あー あー!」と見事に転倒。
瞬間、恐怖と驚きで、頭の中は大パニック、「止めろ! 止めろー!」と絶叫してしまったのだ。
周りは何事が起きたのかと、一斉に注目、総立ちになりました。
昔の電車、急発進、オーバーランは、日常茶飯事。
電車は何事もなく走り出しているのです。
四つん這いになり、起き上がる時、総立ちで見ている人々の視線の冷たさ。
田舎者! バカ! トンマ! いい加減にしろ! と言いたげな視線は、今でも忘れられません。
車内の、今にも吹き出したい気持ち、我慢しながら見ている視線を、一身に受け続ける事は、なんとも気まずいもので、恥ずかしさを通り越し、居たたまれない雰囲気。
追われるように、次の駅で飛び降り、後続電車に乗り換えました。

c1016 画像

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発電車
(ちなみに、徳島の読者より、我が県に電車が無い、沖縄にはモノレールがあるではないか、との指摘をうけた。ひかるが上京時、モノレールはなかった)

c1015 自動ドア


昭和38年4月、1週間も船に揺られ上京。
沖縄は全国で、唯一電車のない県ですが、島には、車や耕運機すらなく、電車という乗り物は、初めての体験。
けたたましく責め立てるベルに、前の人に連られ、急いで乗り込みました。
すると、あまりにもタイミング良く、待っていたかのように、ゴロゴロ、とドアが背後で閉まったのです。
生まれて初めて見る自動ドア。
好奇心旺盛な少年は、ドアに目が付いているはずだ・・
ドアの目がどこに付いているのか、と探しておりました。
次の瞬間、電車は走り出したのです。
自然の息吹と共に、伸び伸びと育った、少年の初めての電車。