b1295 牛飼い女

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よく聞くと、他にも牧場に泊り込み、牛飼い女が3人もいると言う。
彼女は大学も出ており、丸の内でキラキラ輝くキャリヤウーマンとしても通用する頭脳明晰、牛飼いがそんなに魅力的なのだろうか、訳が分からなくなった。
160頭もの子牛がセリに出され、45万円前後の値が付いていた。
あすは神戸か松坂か。
子牛と別れる牛飼い女の目に涙、印象的だった。
この島の方言を聞いていると、訳のわからない事が沢山出てくる。
足の事をパンと呼び、ハブのこともパンという。
畑に使うクワの事をパーイと呼ぶ。
このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。
インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板がでてきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。
島の方言で、うまいは、まーはんで、食事の事をマハンというが、そのインドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。

b1294 親の言葉を聞いて育つ!

子供は、親の背中を見て育つ、いつの間にか、親や、周りに、そのような残酷な言葉が飛び交うのを聞き、精神的に、残酷なシーンが受け入れられているのではないだろうか。
喧嘩など、興奮してる時に、周りへの配慮は難しいだろうけど、普段から、言葉の使い方、表現の仕方に、心配りが必要ではないだろうか。
子供は、親の背中を見て育つ! 親の言葉を聞いて育つ!
気をつけよう・・・
以前、民宿のヘルパーをしていた、27歳前後の女がいた。
父親は公務員だと言う。
南の島へ行った切りで、心配だっただろう。迎えに来た。
今日は子牛のセリで、見に行くと、帰ったはずのその子が牧場へ泊り込み、牛飼いをやっていると言う。
親が許さないだろう、と言うと、ミーラ取りがミーラに成ったのか、父親はこんな良い島は無い、とたびたび訪れると言う。

b1293 殺すぞ!

島で生活してると、時々、言葉遣い、表現に、あれれ?、と感じる事がある。
話の中で冗談に、殺すぞ! 、あるいは殺されるぞ!、 という言葉が出てくるはずだ。
島の人の表現では、それは、死なすぞ!、死なされるぞ!、と言う、表現になっている。
何んでそんな表現になるのだろうかとよく考えると、殺すぞ!、殺されるぞ!という表現には、頭をブチ割られ、非常に残忍な、残酷なシーンが先に浮かぶ。
その点、島の表現では、そのような残忍さは、抑えられる。
島の人が、もともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は、使い辛いので、自然に言葉が変換されてでてくるのである。
島の人は素晴らしいと、つくづく感じる日々である。
マスコミでは、子供が親を、あるいは兄弟、家族を、残忍な残酷な殺人報道が多い。
皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに、殺すぞ!とか、殺してやりたい!とか、そのような言葉が日常、ポロリと出ているのではないだろうか。

b1292 物々交換

島には人が溢れ、耕作地を岩の上まで広げたという、その痕跡は今でも残っている。
岩の上に出来る作物など、あるはずがないと思って、古老に聞くと、事もなげに、粟なら十分作れるとの事だ。
言われてみれば、60年前、島には粟が野生化し、野生のウズラがたくさんいた。
ウズラの卵、仕掛けでウズラを捕らえて、食した事を思い出す。
また、御嶽は今でも十数カ所残っている。直径1キロちょっとの島に、本土では考えられない、十数カ所の御嶽の跡が残っている。
沖縄本島にある御嶽は、久高島に島々を作った神様が、降り立ったという事で、久高島を向き、御嶽信仰が行われているという。
しかし450キロ離れたこの島には、そのような信仰は全く無関係だ。
理解出来ないのは、島の十数カ所の御嶽は、それぞれ、方向がバラバラで、統一されていない。こんな小さな島で統一されな疑問、不思議である。
御嶽は本土でいうお寺みたいなものだが、2キロ未満の空間に、これ程のお寺なり、御嶽があるような地区はないだろう。
この島を調べていくと、不思議な事だらけだ。

b1291 強制移住

南端に浮ぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には、遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。
ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。
真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。
その記述が本当ならば、島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。
それ以降も、石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。
1500年代からは600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は、幸せで豊かに、文化を謳歌した人たちがいたと思われる。
島には、特に豪族らしきものは無い、また貨幣なるものも見当たらない。
人々は、物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心に、お互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。