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発電車
(ちなみに、徳島の読者より、我が県に電車が無い、沖縄にはモノレールがあるではないか、との指摘をうけた。ひかるが上京時、モノレールはなかった)

c1015 自動ドア


昭和38年4月、1週間も船に揺られ上京。
沖縄は全国で、唯一電車のない県ですが、島には、車や耕運機すらなく、電車という乗り物は、初めての体験。
けたたましく責め立てるベルに、前の人に連られ、急いで乗り込みました。
すると、あまりにもタイミング良く、待っていたかのように、ゴロゴロ、とドアが背後で閉まったのです。
生まれて初めて見る自動ドア。
好奇心旺盛な少年は、ドアに目が付いているはずだ・・
ドアの目がどこに付いているのか、と探しておりました。
次の瞬間、電車は走り出したのです。
自然の息吹と共に、伸び伸びと育った、少年の初めての電車。

c1014 生き別れ


今更、船から飛び降り、戻るわけにはいかない・・
戻れない・・
親子の全てを断ち切った!
木の葉のような橋渡船の父に、最後の別れを一言。
「許してくれ! 息子は亡き者と、諦めてくれ・・!」
心底絞り出す言葉は、声になりません。
千切れんばかりに手を振り、今後の無事を、ひたすら願うしかありませんでした。
船は、全ての未練を断ち切り、一路北へ・・・
この船の進む先に、ロマンがある・・
そして、テレビがある・・
過酷な試練が、刻々と近づいているのも露知らず・・
ひかるは、帆先へ立ち、目を大きく見開き、未来を見つめるだけでした。
(これから先、ひかるはテレビ界で縦横無尽に活躍、結果的に、両親の死水は取れなかった)

c1012 蛍の光


妹は棒切れを突いて、ピコタン,ピコタン追いかけ、「兄ちゃん、行かないで・・」と泣きじゃくる。
「兄ちゃん、必ず帰るから」と諭し、心を鬼にする。
年老いた両親と、体の不自由な妹を島に残し、旅立つ息子は、親不幸なのだろうか・
10歳の遊び盛りに、足の不自由な妹の遊び相手は、誰がするのだろうか・・
いつまでも、いつまでも、元気に暮らして欲しい・・・
夕陽は周り一面を真っ赤に染め、西の海へ深々と物悲しく沈んでいきます。
なびく髪、風さえも赤く染められ、心に滲み渡る蛍の光。
大海原に落とす夕陽の涙は、今生の別れを惜しんでいるのだろうか・・
無常にも二度目の汽笛は、空と海へ途切れ、鳴り渡るドラの音に、一段と激しく身を揺するエンジン。
溢れる涙に、視界はこぼれ落ちて行きます。
未練の糸なのだろうか、夕日に赤く染まった海面に尾を引く、白い航跡。
橋渡船の父と、本船の少年は、縋る甲斐なく引き離され、大きな人生の別れをするのでした。
この先、妹は兄の帰りを待ち切れなかった。
東京がどんなに厳しい戦場なのかつゆ知らず、松葉杖を突いて着の身着のまま上京。
地を這う生活苦の中、独学にて縫製国家試験特級を取得、東京都の身障者教育に身を捧げる事になる。

c1011 拗ね顔


杯を交わす時、父は決して、目を合わせまい、としていました。
拗ねているように、視線を外し、何かを必死で耐えている様子。
多分、視線が合えば、上京は取りやめなさい、と、口から出るのを耐えていたのでしょう。
両親にとって、一番辛い時だったのかもしれません。
少年は、心から寂しがる両親の横顔を見せつけられ、白髪の様子や、禿げ具合、シワの数までしっかりと瞼に焼き付け、刻々と迫る別れが辛く、この世で一番長い夜を過ごしました。
石垣島の港は遠浅のため、沖縄本島行きの大型船が港に入れません。
7、8隻の橋渡船が、沖の本船まで荷物や人を運び、最後に見送り人を運びます。
本船は、一度目の汽笛でゆっくりと走り出し、見送り船は、別れを惜しむかのように、周りを追走。
覚悟の上とはいえ、親との生き別れは、これが最後で、2度と会う事が出来ないのかと思うと、あまりにも切なく、身を引き裂かれる程辛いものがあります。

c1010 一家離散


経済的、精神的にもまだ暗いトンネルの中、上京は、誰が考えても無理な相談。
心の内を父に相談すると、「自分の思った通りやればいい・・」と一言。
しかし周りは大反対、年老いた両親と、足の悪い妹を島に残し、なんで東京に出るんだ!
せめて、沖縄本島位にしたらどうだ・・
無口な父は、ただ黙っているだけ・・
人間は、一度不幸のどん底に落ちると後がなく、怖いものがなくなるのだろうか・・
これから先、一家は離散、それぞれの幸せをコツコツと築き上げて行ったのです。
空路が開かれた今では想像出来ませんが、当時、上京するには、黒島から朝一便の船で石垣島まで行き、夕方、石垣を出港し、翌日の昼頃那覇港着、夕方那覇港を出、東京の晴海埠頭まで、3泊4日、便数も週2便しかなく更にパスポート持参での上京。
もし、危篤の知らせがあったとしても、帰郷するには最低一週間は必要。
ニキビだらけのあどけない顔の少年ながら、決して死に水は取れないだろうと、覚悟しました。
両親を前に、生き別れの杯を交わさせてくれと頼み、別れの杯を交わしての旅立ちとなりました。

c1009 隔離状態


島では見た事も、聞いた事もない、初めての発病。小児マヒに関する知識がなく、周りの子供達に伝染するのではないかと見られ、精神的には、完全に隔離状態。
母は、物の怪に取り憑かれたように、祈祷師を回り、西の方角にある木が災いしている、と聞けば必死で切り押す。
父は、直さなければ、手術をしなければ、金を作らなければ、と毎晩、財布を広げ、わずかばかりの、増えもしない金を数えるばかり。
米国の統治下、勿論、保険制度もなく、手術や渡航滞在費など、細々と暮らす一家にとって、とてつもない費用。
遊び疲れたのだろうか、妹は膝に抱かれ、小さな寝息、ランプの薄灯かりに映し出される、疲れ切った父の横顔は、藁をもつかむ眼差し。
普段ですら無口な父は、更に無口になって行きました。
11歳の多感な少年は、この大きな試練に、家族が押しつぶされるのではないかと不安になり、子供心にも明るく振る舞う。
無邪気な妹の遊び相手をするよう、心掛けたのでした。
そのうち小児マヒが、伝染病でない事が分かり、明るさを取り戻して行ったのです。
10年後の昭和38年、ひかるは、高校卒業と同時に、東京へ出、魔法の箱、テレビを解明しようと、決心。