c1008 小児麻痺


ひかる11歳、妹が3歳の、昭和29年夏。
父は、漁へ出かけ、母は野良仕事、やっと走りまわれるようになった、妹の遊び相手をしていると、元気がなくなり、そのうちグッタリ倒れてしまいました。
急いで、母を呼び戻した頃には、泣き声一つ出す力さえなく、痙攣の合間に、断続的にひきつけを起こす程の異常な高熱。
40度以上の高熱が続いているのだろうか。
火照った体は、風呂上がり状で、体内はそれ以上の高温でしょう。
解熱剤なるもの、薬と呼べるものは何一つなく、助けを求めるにも近所には、誰一人いません。
母は、知恵熱やカゼ、普通の発熱でない事を咄嗟に感じ取っていたのでしょう。
取り乱し、「助けて欲しい!」 と叫ぶ、その只事でない形相に、命に危険が迫っている事が感じられます。
次々と他界した子供達の事が、脳裏をよぎっているのだろうか。
脈をとったまま、水!、水をくれ、との催促に、冷たい井戸水を汲み続けました。
母は、無我夢中で冷やし続け、その甲斐あったのか、数時間続いた引き付けは、徐々に治まって行きましたが、あまりにも高熱が続いたせいなのか、後遺症が残り、片方の足が完全に、マイしてしまいました。
小児マヒ、にかかったのです。
この嵐のような出来事が、これから先、一家に試練を背負わせる事となったのです。

c1007 3文字


情報の全くなかった島、電波など考えられなかった島で育った少年には、そんな望遠鏡が有るはずがない!
魔法使いにでも、出来ないはずだ、と思えるのでした。しかし、何度読み返しても、5コマ漫画は同じ答えしか出してくれません。
以後、テレビの3文字は、少年の脳裏に焼き付けられたのです。
どうしても、映画が観たい・・
この映画が、家に居ながら観られる・・
だったら、テレビを勉強してみたい・・
何時の間にか、ひかるは、5コマ漫画の世界へ夢を膨らませ、魔法の箱解明に人生を賭けてみたい、と行動を起こすのでした。

c1006 映画のシーン


小学校高学年の頃には、島の貧しい生活に見切りを付け、石垣島や沖縄本島へと引っ越す家が多くなり複式学級制へと移行していきます。
5 挑戦!TV界
そんな中でも、子供達にとって、1番の楽しみは、夏休みや冬休みに、15キロ離れた石垣島へ渡り、映画を見る事でした。
しかし少年の家は、特に貧しく、石垣島へ渡る船賃や映画代など、とても考えられず、その日暮しの状況。
子供同士で、映画のシーンや仕草の真似をしながら遊ぶ時が、一番悔しく、どうしても仲間に入っていけません。
一度で良いから、映画が観たい・・・
お願いだから、映画を観せて欲しい・・・
きっと来年は映画を観せてもらえる、と懸命に畑仕事を手伝う。
待ちに待った夏休み、しかし夏休みは、日1日と過ぎ、夢は空しく消えて行きます。
必ず、正月には観せる、と父が約束。
なお一層小さな体で、両親を手伝いましたが、それでも夢は叶えられませんでした。
約束を守って欲しい・・・と無理に言い出せません。
親が一番辛いのは、子供心にも分かっています。
中学2年生の時でした・・・
マンガ本の片隅に、5コマ漫画で、コタツに入りながら映画が観られる。
「これがテレビだ」と書いてありました。
目を疑い、もう一度読み直しましたが、何度読んでも、同じ答え。
家に居ながら映画が観られる?
本当にそのような事が出来るのだろうか?
映画館の無い島、焼玉式エンジンのポンポン船で行き来する、別の島で上映される映画が、この家で観られるはずがない・・

c1005 挑戦!TV界


昭和18年8月、八重山地区の黒島に、ひかる誕生。
出産設備や病院のない島で、生まれた子供が次々と3人も他界した後、3歳違いの長女に続く男子、ひかる誕生で、両親の喜びはひとしお、八年後、母43歳で妹が誕生します。
妹は高齢出産の子、特別可愛がられ、幸せな五人家族でした。
小さな島には電気はなく、勿論、水道もありません。
情報と呼べるものは、特にありません。
飲み水は雨水を瓶に溜め、大事に飲みます。
ボウフラが湧き、瓶の首をコント叩き、潜った瞬間、すくって飲む、ボウフラとの協同生活。
ランプのホヤを拭くのは、大人の手が入らないので、子供の仕事と言われ、何の抵抗もなく、毎日拭かされ、何度かホヤを割り、叱られて育ちました。
サンゴ礁で出来た島では、岩だらけの合間に点在する、猫の額程の畑を耕し、家庭菜園に毛が生えたような自給自足の生活。

c1004 貴重な財産


またこの地区は郷土芸能の宝庫とも言われ、マタハーリヌ、チンダラカヌシャマヨー、と歌われる。
沖縄県を代表する、安里屋ユンタ等、数多くの民謡や踊りを生み、方言や風習など、貴重な財産として引き継がれ、サンゴの種類や規模の大きさ等でも、世界屈指の群棲地として注目の的となっています。
現在、テレビは全国の家庭に入り込み、生活の一部となっている事は言うまでもありません。
信じがたい事ですが、この地区は、5万人もの人口を有するにも関わらず、平成5年末迄、NHK以外の民放テレビの電波が、届きませんでした。
現在でも民放は、二つのチャンネルしか映りません。
沖縄本島との間に中継局が作れず、テレビの最後の未開地である。
45年前、この地区の周囲12キロ、人口二百数十人という小さな島から、ひかる少年がテレビにロマンを求め、風呂敷包とパスポートを携え、旅立ちました。
さて、どんな人生になるのでしょうか・・・

c1003 TV少年、南の島から東京へ


知床半島や釧路湿原など、日本でも、世界遺産に登録されているところはあるが、まず一番目に、この西表島が、自然世界遺産に登録されるべきではなかっただろうか。
国連環境問題等で、環境大臣が、世界に誇れる、ネコ科の原種が日本に生息している事をアピールすれば、絶賛されるのではないだろうか。
隣りの石垣島は、沖縄県最高峰の於茂登岳、526メートルが有り、この地区の人口4万6000人の内、4万2000人、90%以上の人口が集中。
台風情報を一番先に捉える、日本南端の石垣島気象台で知られ、空港拡張では、サンゴ礁破壊問題を抱えています。
南の島々は空から見下ろすと、すべてサンゴ礁で縁どられ、そこへ打ち寄せるさざ波は、白くリング状に取り巻く。
鮮やかなコバルトブルーから、濃いネイビーブルーへと変化。
まばゆい紺碧、膨大な絵の具を流し込んだのではないか、とさえ思われる風光明媚な大自然が豊富に残されています。

c1002 埋蔵石油


60年を過ぎた今、やっと沖縄も少しは注目されるようになって来たのである。
沖縄本島より450キロ南、県2番目に大きな西表島、3番目に大きな石垣島を中心とした、19の島々からなる、八重山地区は、日本最南端、波照間島、および最西端、与那国島を有する、日本の最南西地区。
また、今は無人島ですが、以前はカツオ漁が盛んに行われた魚釣り島もこの地区にあり、海底にはかなりの石油が埋蔵されているとの、調査結果があり、中国、台湾も帰属を主張し、国際的にも関心が寄せられています。
西表島は起伏に富んだ山だらけ、人口二千人の島で、周囲75キロの90%以上が、マングローブや亜熱帯の原生林に覆われ、東洋のアマゾンと呼ばれる生まれたままの自然が残された日本最後の秘境の島である。
またこの島には、天然記念物の西表ヤマネコが生息。
この猫は、中国大陸と日本が陸続きだった大昔、この島の山に取り残され、そのまま生息しているという。
ヒョウ、ピューマ、チーターなどネコ科の原種だという。
中国のパンダは世界的にも有名だが、それよりも貴重な動物が日本にも生息中という事である。

c1001 TV少年、南の島から東京へ


沖縄県は、120もの島々で構成され、第二次世界大戦最後の上陸作戦、激戦地となり、戦後は昭和47年まで米国が統治し、復帰後の今なお、敗戦の傷跡を多く残しています。
本土は原爆で一瞬だったが、沖縄は上陸掃討作戦、戦車と火炎砲で横一列に焼き尽くしていく。壕に住民が潜んでいたとしても、焼き尽くす。
軍人が混じっているので、やむを得ないといえばやむを得ないだろう。
極度に鬼畜と教え込まれた敵兵が目前、恐怖の中から捕虜として集められ、住民は生き延びてきたのである。
焦土と化した広大な土地に、米軍は極東を睨んだ巨大な基地を作った。
残された猫の額程の、親兄弟の血のしみこんだ土地を耕すしかなかった。
食糧難、沖縄の人たちは米軍に物乞いの如く、縋りついて生きるしかなかった。
そして戦後は米国統治のままである。
沖縄から見ると本土は自分達の繁栄、復興に必死で、沖縄は見放された状態に映る。
親が自分の身を守る為に子ども切り捨てたという怒り、感情が渦巻く。
戦前から植え付けられた反米感情をはるかに上回る、今度は反日感情が積み重なっていったのである。